進学塾アルファ狭山校 2019年11月
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教皇?法王?

キリスト教のカトリック教会の最高指導者であり、バチカン市国の元首でもあるローマ教皇(法王)フランシスコが23日から4日間の日程を終え、帰国の途につきました。1981年のヨハネ・パウロ二世以来38年ぶりのローマ教皇の来日に際して、これまでの「ローマ法王」から「ローマ教皇」に日本政府としての正式な呼び名が変更されました。1942年に日本とバチカンの国交が樹立された際には、宗教的な最高指導者として仏教などでも使用例がある「法王」という訳が採用されたのですが、日本のカトリック教会が、「王」という響きよりも「教える」という字がある「教皇」の方が職務の内容にふさわしいということで、「教皇」という呼び名を採用していることに配慮したということのようです。「法王という呼び名も間違いではない。」としているものの、マスコミなどでも今回から「教皇」を採用するという動きが広がっているようです。

フランシスコ

ローマ教皇は、カトリック教会の最高指導者です。先日も中一の地理の授業で説明したのですが、キリスト教には大きく分けて三つのグルーブがあります。一つ目が、イタリア、スペインなどのラテン系の諸国と、その植民地であった歴史をもつ南米やフィリピンに多くの信者をもつカトリック、そして二つ目は、ルターなどによる宗教改革で成立したプロテスタント、こちらはドイツ、イギリス、アメリカなどのゲルマン系の国やその植民地だった国に広がっています。三つ目は、ギリシャや、ロシアなどのスラブ系の国に多い正教会(せいきょうかい)です。今回の教皇来日で、触れられているようにカトリックは全世界で13億人の信者がいると言われ、その最高指導者であるローマ教皇は、大きな影響力をもつ存在です。歴史の授業で有名な「フランシスコ・ザビエル」の「イエズス会」はカトリックのグループで、今回来日した教皇フランシスコもイエズス会出身であることから、イエズス会が設立した上智大学を訪問していました。


歴史的には、ローマ教皇は、「教皇領」と呼ばれる領土をもち、政治的にも大きな力をもっていましたが、イタリアが統一国家となる過程でのイタリア国家との対立を経て、1929年にムッソリーニのイタリア政府とラテラノ条約を結んで和解し「バチカン市国(しこく)」という世界最小の独立国家として現在に至ります。「バチカン」という名前は、バチカンがある場所が元々「ウァチカヌスの丘」という場所だったことに由来するためで、そのため現在でも「ヴァチカン」という表記も見られます。なぜこの場所に教皇のいるサンピエトロ寺院があるかと言えば、その名の由来である初代の教皇とされる「聖ペテロ(イタリア語でピエトロ)」が殉教した地であるからと言われています。ちなみに、バチカン市国は「世界一小さな国」というわかりやすい特徴があるので、中学生からの認知度は非常に高い国です。(笑)


本日は、教皇に関するクイズです。教皇は「枢機卿(すうききょう)」と呼ばれるカトリック教会の最高幹部たちによる互選で選出されます。次の教皇を選ぶこの会議の名前は次のうちどれでしょう?

ア ガマンクラーベ  イ セイクラーベ  ウ コンクラーベ



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関連記事「サンフランシスコとフランシスコ・ザビエルの関係は?」へはこちらからどうぞ。


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桂太郎(かつらたろう)

安倍晋三首相の通算での首相在職日数が、11月19日に2886日となり、歴代1位の桂太郎と並びました。桂太郎は主に明治時代に活躍した政治家で、明治34年(1901年)に成立した第一次桂太郎内閣では、日英同盟を結び、日露戦争を指揮するなどしました。その後も、公家出身の西園寺公望(さいおんじきんもち)と交互に首相を務めたことから、明治時代後期は「桂園(けいえん)時代」とも呼ばれることとなりました。


桂太郎桂太郎

桂太郎は、長期にわたって政権を担当したものの、中学校の歴史の教科書では、藩閥政治の政治家として第一次護憲運動で倒されたという紹介のされ方です。高校の日本史でも、長州藩出身で、おなじ藩出身の山形有朋(やまがたありとも)に引き立てられて、陸軍で昇進を重ねた経歴や、陸軍の二個師団増設のために陸軍大臣上原勇作(うえはらゆうさく)が辞職して、第二次西園寺内閣を倒すといういわゆる「陸軍のストライキ」を主導して、自らが第三次桂内閣を成立させて、「第一次護憲運動」を招いて辞職することになった経緯などから、あまり好意的に扱われることは多くない印象です。


その桂太郎も、連続での首相在職日数一位の佐藤栄作も、そして安倍首相も全員が山口県の出身です。江戸幕府を倒す際に、薩摩藩とともに中心となったことから、明治時代にはいわゆる薩長藩閥政治とよばれる政治を行い、日本の政治を主導してきた長州(山口県)出身者に長期政権を維持した政治家が多いのは、歴史的な背景があることとは言え、興味深いところです。ちなみに、桂太郎は「ニコニコしながら相手をポンとたたいて親しげにふるまう」ことから「ニコポン」と呼ばれていたそうです。「人事の佐藤」「早耳の佐藤」と呼ばれたという佐藤栄作と相通じる感があるのも面白いところです。


さて、アルファの卒業生が現在も何名かお世話になっている、東京の玉川上水にある拓殖大学第一高校の前には、その桂太郎の銅像があります。桂太郎は拓殖大学の前身である「台湾協会学校」の創立者であることから、大学にも拓大一高にも銅像が設置されているようです。その桂が、第一次護憲運動で辞職してほどなく失意のうちに病死してから、ほぼ100年、先ほど触れた通り、必ずしも好意的な評価が多くはないように思われる状況ですが、100年後に安倍首相ははたしてどのように評価されることになるのでしょうか。お読みいただきありがとうございました。


本日は桂太郎に関連したクイズです。桂太郎は長州藩出身と言うことで、その墓は松下村塾(しょうかそんじゅく)で多くの長州藩の若者たちを育成したある人物を祭神とする神社の隣にあります。さて、その人物とは誰でしょう?


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南アフリカ

ラグビーのワールドカップは南アフリカ共和国が、決勝でイングランドに勝利し、ニュージーランドに並んで最多となる三度目の優勝を達成しました。今日は、南アフリカ共和国についてご紹介します。


南アフリカ

南アフリカ共和国は、その名の通りアフリ大陸の最南端にある国で、面積は122万平方キロで日本の約3.2倍、人口は約5700万人で日本の半分程度です。社会のテストでは1994年まで行われていた「アパルトヘイト」と呼ばれる人種隔離政策を行っていた国とか、「金」「ダイヤモンド」「白金(プラチナ)」などの産出国として登場することが多かったのですが、近年は2000年代に経済発展を遂げた「BRICS(ブリックス)=(B(ブラジル)、R(ロシア)、I(インド)、C(中国)、S(南アフリカ))」と呼ばれる国の一角として、あるいはレアメタルの産出国として登場することが多くなっています。(以前に非常に細かい先生が行政府があるプレトリア、立法府があるケープタウン、司法府があるブルームフォンテーンの三つ全てを首都として答えさせたという登場の仕方をしたことがありました。。)


アパルトヘイトは、南アフリカの人口の約9割を占める黒人とカラードと呼ばれる混血の人たちに対する白人の優位を定めた人種隔離政策です。南アフリカは、もともと黒人の人たちが居住していたところに、オランダ人の移民たちが乗り込んでケープ植民地を成立させ、そこにさらにイギリスが乗り込んできて植民地化されたという歴史があります。「アパルトヘイト」という言葉は、そのオランダ系の人々が使うアフリカーンス語で「分離・隔離」を意味するそうです。多くのアフリカ諸国が植民地支配から独立する中で、黒人に対する差別政策を行っていた南アフリカに国際的な非難が集中し、ラグビーのワールドカップにも1987年と91年の第1回、第2回大会には、参加できませんでした。1994年に南アフリカで初めて全人種参加の総選挙が行われ、黒人のネルソン・マンデラが大統領に就任したことで、国際社会への復帰を果たし、1995年のラグビーワールドカップで南アフリカが初出場で優勝した際のエピソードは「インビクタス/負けざる者たち」という映画でも知られています・


先日の歴史の授業で、1900年に中国で起こった「義和団事件」の際にイギリスは、先に入植していたオランダ系のブール人の国家との間で南アフリカ戦争の真っただ中だったことから、わずかな軍隊しか派遣することができず、ロシアの台頭を許してしまうことになり、それがイギリスと日本の日英同盟にもつながるという話をしたところ、「南アフリカでのできごとが日本にも影響しているというのが意外だった。」と興味をもってもらうことができました。上で書いたように、BRICSと呼ばれる成長国の一角なるほどの成長をし、アフリカを代表する大国となっていることから、今後も日本と南アフリカの関係はますます重要になっていくことが予想されますので、これからも注目していきたいところです。お読みいただきありがとうございました。

本日は、南アフリカに関するクイズです。南アフリカのケープタウンにある、アフリカ大陸の南西の端にある岬は何というでしょう?(ヒント:最初は「嵐の岬」と名付けられましたが、アジアへの航路短縮につながる場所ということで、ポルトガル王ジョアン2世によって「希望の岬」という意味の名前に変えられました。)


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