南アフリカ
ラグビーのワールドカップは南アフリカ共和国が、決勝でイングランドに勝利し、ニュージーランドに並んで最多となる三度目の優勝を達成しました。今日は、南アフリカ共和国についてご紹介します。
南アフリカ共和国は、その名の通りアフリ大陸の最南端にある国で、面積は122万平方キロで日本の約3.2倍、人口は約5700万人で日本の半分程度です。社会のテストでは1994年まで行われていた「アパルトヘイト」と呼ばれる人種隔離政策を行っていた国とか、「金」「ダイヤモンド」「白金(プラチナ)」などの産出国として登場することが多かったのですが、近年は2000年代に経済発展を遂げた「BRICS(ブリックス)=(B(ブラジル)、R(ロシア)、I(インド)、C(中国)、S(南アフリカ))」と呼ばれる国の一角として、あるいはレアメタルの産出国として登場することが多くなっています。(以前に非常に細かい先生が行政府があるプレトリア、立法府があるケープタウン、司法府があるブルームフォンテーンの三つ全てを首都として答えさせたという登場の仕方をしたことがありました。。)
アパルトヘイトは、南アフリカの人口の約9割を占める黒人とカラードと呼ばれる混血の人たちに対する白人の優位を定めた人種隔離政策です。南アフリカは、もともと黒人の人たちが居住していたところに、オランダ人の移民たちが乗り込んでケープ植民地を成立させ、そこにさらにイギリスが乗り込んできて植民地化されたという歴史があります。「アパルトヘイト」という言葉は、そのオランダ系の人々が使うアフリカーンス語で「分離・隔離」を意味するそうです。多くのアフリカ諸国が植民地支配から独立する中で、黒人に対する差別政策を行っていた南アフリカに国際的な非難が集中し、ラグビーのワールドカップにも1987年と91年の第1回、第2回大会には、参加できませんでした。1994年に南アフリカで初めて全人種参加の総選挙が行われ、黒人のネルソン・マンデラが大統領に就任したことで、国際社会への復帰を果たし、1995年のラグビーワールドカップで南アフリカが初出場で優勝した際のエピソードは「インビクタス/負けざる者たち」という映画でも知られています・
先日の歴史の授業で、1900年に中国で起こった「義和団事件」の際にイギリスは、先に入植していたオランダ系のブール人の国家との間で南アフリカ戦争の真っただ中だったことから、わずかな軍隊しか派遣することができず、ロシアの台頭を許してしまうことになり、それがイギリスと日本の日英同盟にもつながるという話をしたところ、「南アフリカでのできごとが日本にも影響しているというのが意外だった。」と興味をもってもらうことができました。上で書いたように、BRICSと呼ばれる成長国の一角なるほどの成長をし、アフリカを代表する大国となっていることから、今後も日本と南アフリカの関係はますます重要になっていくことが予想されますので、これからも注目していきたいところです。お読みいただきありがとうございました。
本日は、南アフリカに関するクイズです。南アフリカのケープタウンにある、アフリカ大陸の南西の端にある岬は何というでしょう?(ヒント:最初は「嵐の岬」と名付けられましたが、アジアへの航路短縮につながる場所ということで、ポルトガル王ジョアン2世によって「希望の岬」という意味の名前に変えられました。)
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南アフリカ共和国は、その名の通りアフリ大陸の最南端にある国で、面積は122万平方キロで日本の約3.2倍、人口は約5700万人で日本の半分程度です。社会のテストでは1994年まで行われていた「アパルトヘイト」と呼ばれる人種隔離政策を行っていた国とか、「金」「ダイヤモンド」「白金(プラチナ)」などの産出国として登場することが多かったのですが、近年は2000年代に経済発展を遂げた「BRICS(ブリックス)=(B(ブラジル)、R(ロシア)、I(インド)、C(中国)、S(南アフリカ))」と呼ばれる国の一角として、あるいはレアメタルの産出国として登場することが多くなっています。(以前に非常に細かい先生が行政府があるプレトリア、立法府があるケープタウン、司法府があるブルームフォンテーンの三つ全てを首都として答えさせたという登場の仕方をしたことがありました。。)
アパルトヘイトは、南アフリカの人口の約9割を占める黒人とカラードと呼ばれる混血の人たちに対する白人の優位を定めた人種隔離政策です。南アフリカは、もともと黒人の人たちが居住していたところに、オランダ人の移民たちが乗り込んでケープ植民地を成立させ、そこにさらにイギリスが乗り込んできて植民地化されたという歴史があります。「アパルトヘイト」という言葉は、そのオランダ系の人々が使うアフリカーンス語で「分離・隔離」を意味するそうです。多くのアフリカ諸国が植民地支配から独立する中で、黒人に対する差別政策を行っていた南アフリカに国際的な非難が集中し、ラグビーのワールドカップにも1987年と91年の第1回、第2回大会には、参加できませんでした。1994年に南アフリカで初めて全人種参加の総選挙が行われ、黒人のネルソン・マンデラが大統領に就任したことで、国際社会への復帰を果たし、1995年のラグビーワールドカップで南アフリカが初出場で優勝した際のエピソードは「インビクタス/負けざる者たち」という映画でも知られています・
先日の歴史の授業で、1900年に中国で起こった「義和団事件」の際にイギリスは、先に入植していたオランダ系のブール人の国家との間で南アフリカ戦争の真っただ中だったことから、わずかな軍隊しか派遣することができず、ロシアの台頭を許してしまうことになり、それがイギリスと日本の日英同盟にもつながるという話をしたところ、「南アフリカでのできごとが日本にも影響しているというのが意外だった。」と興味をもってもらうことができました。上で書いたように、BRICSと呼ばれる成長国の一角なるほどの成長をし、アフリカを代表する大国となっていることから、今後も日本と南アフリカの関係はますます重要になっていくことが予想されますので、これからも注目していきたいところです。お読みいただきありがとうございました。
本日は、南アフリカに関するクイズです。南アフリカのケープタウンにある、アフリカ大陸の南西の端にある岬は何というでしょう?(ヒント:最初は「嵐の岬」と名付けられましたが、アジアへの航路短縮につながる場所ということで、ポルトガル王ジョアン2世によって「希望の岬」という意味の名前に変えられました。)
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